世田谷通りで切り取られ、さらに陸橋になったことで盛り上がっていますが、きちんと社殿とその両脇の銀杏がみえます。秋には銀杏が真っ黄色でとても綺麗です。
明治18年の1/2万地形図。参道が街道とTの字で繋がっていますが、津久井道へは細い別の道があるだけで、直接は繋がってなかったことがわかります。このTの字の矢印の所から撮影しています。
出典:国土地理院1/20000地形図 明治18年。多摩図書館蔵
1941年の航空写真。参道が街道と繋がっていること、津久井道とは繋がって無いことがはっきり分かります。
出典:国土地理院GISアーカイブス http://mapps.gsi.go.jp/
1953年1/3000地形図。川崎市まちづくり局所蔵から。世田谷通りができて分断されていますが、まだ、陸橋になっていないので交差しているだけで、しっかり残っています。
出典: 川崎市まちづくり局 古い地形図1/3000 1953年 中原図書館蔵http://www.city.kawasaki.jp/500/page/0000008531.html
その6年後の1959年の同1/3000地形図には、陸橋が完成して分断され、旧街道側の道が半分消えています。これは、ほぼ現状と同じです。
出典: 川崎市まちづくり局 古い地形図1/3000 1959年 中原図書館蔵http://www.city.kawasaki.jp/500/page/0000008531.html
最近、世田谷通りが北側(神社側)に拡幅されて、残りの参道が1/3くらいになりました。それが冒頭でリンクした記事です。それでも、旧街道の参道の起点からは冒頭の写真のように見えました。
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